月は東に日は西にSS       ほなみんカフェへようこそ        ※保奈美ルート    by BLUESTAR  店の入り口のベルが鳴る。 「いらっしゃいませ〜」  夕方。茉理の声が店内に響く。 「こんにちは、茉理」 「ちひろ、いらっしゃい〜」 「こんにちは、橘さん」  カウンターに座ると、かばんを横に置く。カウンターには他の客はいない。  ちひろはペコリと保奈美に頭を下げる。 「こんにちは」 「ちひろ、注文どうぞ〜」 「ホットココア」 「はいはい」  茉理はココアをつくりはじめた。  ……保奈美が蓮美台学園を卒業してから6年。  蓮美台学園のそば。商店街の片隅に、わずか3ヶ月前にオープンした喫茶店がある。  店の名前は「ほなみんカフェ」という。  名前の由来は、保奈美の夫であり、茉理の従兄である久住直樹が時折保奈美のことを 「ほなみん」と呼んでいることからきている。  店の制服は緑をベースにしたかわいらしい衣装なので、直樹はこの制服をきた保奈美 のことを愛情を込めて「緑ほなみん」と呼んでいる。  この店は、渋垣茉理、久住保奈美(旧姓藤枝)の共同経営であり二人がダブルマスター でもある。予想以上に客が多いこともあり休日などにはバイトを入れている。  渋垣茉理は、昔から自分の店を持つのが長年の夢だった。スナックにするか食堂にす るか喫茶店にするか考えたあげく喫茶店に決めたのだ。  場所は、商店街の空き店舗を安く借りることができた。市の空き店舗対策事業からも ある程度の補助金が見込めた。茉理は両親知人友人からお金を借りて、それでも足りな い分は蓮美信用金庫からの融資を取りつけてなんとか資金を調達したのである。  商店街の若き会長も、信用金庫の担当者も蓮美台学園出身であり、「学園カフェテリ ア伝説のウェイトレス」と呼ばれた茉理の名前を知っていたのである。  そして、茉理は開業準備に走るさなかに、保奈美の勤務していた学校が倒産して無職 になったことを知ったのである。  茉理はさっそく保奈美を誘い、かくして新しい喫茶店が開店したのである。  客の入り具合を心配した保奈美であったがそれは杞憂に終わった。  コーヒー豆に対する極端なこだわりと、デザートを中心に豊富なメニューを取りそろ えたこの店はまたたくまに人気を集めたのである。  伝説のウェイトレスである茉理と伝説の料理人である保奈美の経営する喫茶店「ほな みんカフェ」は、蓮美台学園の中でも無論話題になっていた。結先生が住む第一蓮華寮 の寮生でここによくくる人が何人かいるほどでもある。  第二蓮華寮は方角が違うのでさすがにここまでくる寮生はいないようだ。  学園のカフェテリアよりも民間の喫茶店であるほなみんカフェのほうが料金は高いの だが、いかんせん料理のすばらしさは比較にならないのだ。 「ねえちひろ、今日はどうだった」  ココアを出した茉理はそうたずねる。  橘ちひろは学園在学中は園芸部に所属して、温室・屋上など学園の花を世話していた のである。卒業までの3年間、ちひろは一人で部活を続け、孤独な園芸部員であった。  顧問の仁科先生は「いろいろと」多忙なためにあてにならなかったのも理由。  学園卒業後、ちひろは蓮美台学園で花の世話のためをしたいと申し出た。  大学に通う傍ら、放課後や休日には蓮美台学園で温室・屋上の世話をする日々。  大学4年の時、卒業したら蓮美台学園に園芸部顧問兼園芸担当として就職しないかと 学園側から要請があったのである。  もちろん、ちひろは承諾した。 「今日は天気がとってもよかったし、作業もはかどりましたよ」 「へえそうなんだ」 「今日は屋上をざっとやりました。ちょっと暑かったですね」 「地球温暖化が心配だね」 「おおげさだよ、茉理」  茉理とちひろは蓮美台学園付属(中学)からの親友である。長い付き合いなのでお互い のことはよく把握しているのだ……。 「そういえば、今度壁面緑化の話があるんですけど、どうしたものか」 「へきめんりょくか、ってえっとどういうことなの、ちひろ」 「校舎の壁を緑でいっぱいにするんです。熱対策ということなんですけど」 「熱かあ。確かにそうすれば涼しげでいいかもね」  ちひろはコップの水を飲み干して、 「ただ。壁ですから作業的には大変なことになりそうですけど」 「確かにそうかも知れないわね」と保奈美。  やがて、ひとしきり話をしたちひろはごちそうさまでしたといって立ち上がる。  茉理がレジで会計をする。 「あのね茉理。小銭って、やっぱり面倒だね」 「そうね」 「早くこの店マネーカード入れればいいのに」 「ちひろ。それは禁句だよ」  マネーカードは未来での支払い手段。未来ではこの時代と違って現金決済のほうがめ ずらしかったのである。  ちひろはずっと前に「信頼できる親友の」茉理に自分の正体を告白していた。  茉理はちひろの了解を得た上で、「親友の」保奈美に打ち明けていた。 「じゃせめて、クレジットカードか、デビットカード」  デビットカードはATMカードで支払いをすることである。日本国内ではまだまだ普 及途上にある。ドイツと日本ではいまだに現金決済がほとんどなためそれ以外の支払い 手段はなかなか普及しづらい。 「……開業時の借金をなんとかするのが先なの」 「それもそっか。じゃあまたね」  午後7時すぎ。ちょうど客が切れたところで、小さな女性が現れた。 「いらっしゃいませ、結先生」 「こんばんはです、保奈美マスター」 「ご注文は、いつものあれですか」 「はいそうです。プリン・スペシャルです」  しばらくするとプリン・スペシャルがカウンターに出された。  プリン・スペシャルは「プリン中毒」野乃原結先生対策として保奈美が開発したメ ニューである。大きな皿に大きなプリンを盛りつけたものでそれは6個分に相当する。  ただし値段は普通のプリンの5・5個分の値段なので普通に注文するよりは割安に なるというものだ。グループで1つというのが普通の食べ方である。「ほなみんカフ ェ」ではいまのところ一人でプリン・スペシャルをまるごと食べるのは結先生だけで ある。 「わあーいぷりんすぺしゃるですう」 「はいどうぞ」 「おいしかったです。今日のプリン・スペシャルは……保奈美マスターのつくったもの ですか?」 「ぴんぽーん。さすが結先生。伊達にプリン・フリークじゃありませんね」  とタイミングよく答える茉理。 「渋垣マスターのと微妙に味が違うんですよね」 「まだまだあたしは精進しないといけないということですね」 「いえいえ。けしてそんなことはありませんよ。それに二人がまったく同じ味だったら 多様性に欠けるじゃないですか」  結先生は、保奈美の学園2年、3年時の担任である。だから思い出も多い。  茉理は学園時代カフェテリアで活動していた。そして結先生は天文部顧問で、蓮華寮 在住だったことからカフェテリアの利用回数はかなり多かった。  天文部が部室を確保したのは結先生が学園に赴任してから1年以上も経ってからで、 それまでは天文部は放課後のカフェテリアの通称「天文席」に常駐していたのである。  要するに二人にとって結先生はよく知っている人であり、なじみの顔である。 「そういえば、結先生。情報コースはどうですか」と保奈美。 「どうですかと言われてましても。まあぼちぼちといったところですね」  蓮美台学園は、今年度からこれまでの普通科を普通コースと情報コースに分割した。  とはいっても普通コースを1クラス減らして、情報コースを1クラス作ったので、入 学者数そのものは変わっていない。 「ぼちぼちですか。まるであきんどみたいない言い方ですよね」と茉理。 「学校というのは教育を売る商売ですから」 「それじゃみもふたもないと思いますけど」と保奈美。 「主任ともなりますといろいろ仕事が多くて大変です」  結先生は、情報コースの担任である。情報の教員免許を持ち、学園でコンピュータ・ 情報関係で一番詳しいということであっさり決まったのである。時空転移装置の管理者 であるため、コンピュータには元々詳しかったし、プログラミングもおてのもの、キ ーボードのタイピング速度にいたっては学園内で最速だった。 「頑張りすぎないでくださいね」と保奈美。 「そうそう。この間も仁科先生が、結先生は真面目過ぎるのが問題だってぼやいてまし たから」と茉理。  8時すぎ。店内には5人ほどがテーブルで静かにたたずんでいる。 「いらっしゃい、美琴」 「久しぶりだね。保奈美」  常連の天ヶ崎美琴が入ってきた。 「美琴、一昨日もきたじゃない」 「昨日きてないから久しぶりってことで」 「はいはい。それじゃ注文をどうぞ」 「カルボナーラと、杏仁豆腐スペシャル」 「茉理ちゃん、カルボナーラお願い」 「はいっ」  やがてカウンターの美琴の前にカルボナーラと杏仁豆腐スペシャルが並んだ。  杏仁豆腐スペシャルは、保奈美が開発したメニューで杏仁豆腐4個分がひとつにまと めてある。「杏仁豆腐中毒」天ヶ崎美琴用メニューである。一人でこれを平らげるのは 今のところ美琴だけである。値段は杏仁豆腐3・5個分である。 「きょうもおいしかったよ、保奈美、茉理ちゃん」 「ありがとう」と保奈美。 「そういってもらえるとうれしいな」と茉理。 「それにしても美琴って本当に杏仁豆腐好きよね〜。毎日食べてない」 「ぴんぽんぴんぽん。好きなものは毎日食べてもあきないよ」 「……中毒よねそれってさ」 「茉理ちゃんひどいよ。わたしは杏仁豆腐切れたからって暴れたりしないよ〜」 「暴れるようだったらそれこそ本当に中毒よね、美琴」 「うんそうだよ」  天ヶ崎美琴は、蓮美駅前にある会社に勤めている。たまにはドジもするけど、天性の 明るさもあってすっかり職場のムードメーカーである。  美琴は駅の近くのアパートでひとり暮らしである。その部屋は巨大な2台のテレビと 4台のハードディスク・レコーダーと2台のビデオデッキと大量のテープやディスクで 埋まっている。美琴の趣味はテレビである。家では常にテレビが流れている。  部屋のベランダには、地上波デジタル・アンテナ、BSデジタル/110度CSアンテナが並んでいる。  美琴が未来人であることは保奈美も茉理も今では知っている。  美琴には天ヶ崎祐介という弟がいた。7年前、久住直樹は天ヶ崎祐介と融合した。  その結果、久住直樹には直樹としての記憶と祐介としての記憶が両方ある。  そういうわけで、美琴にとって保奈美の旦那である久住直樹は、友人であり、同じ 天文部の仲間であり、そして弟でもあるのだ。  美琴は時々久住家(近くのアパート)に出かけることもある。  "祐介は弟だからたまにはあってもいいよね"  "保奈美は親友なんだからあってもいいよね"  なまじ親友なだけに美琴をおい払うわけにもいかず、苦笑いする保奈美である。 「直樹、まだ来てないんでしょ」  午後8時30分を過ぎた。美琴が問いかける。 「バカ直樹。もし浮気なんかしてたらこのあたしが許さないわよ」  茉理は皿を片づけ終わるとそういった。 「早くこないと閉店なのに」と保奈美。 「じゃ直樹の携帯に電話してみるね」  美琴は携帯電話を取り出すと、直樹にかけた。  先週買ったばかりの新しい携帯電話だ。 『はいもしもし』 「直樹、わたしだよ、美琴だよ」 『どうした』 「早くこないとほなみんカフェ閉店だよ〜」 『もうすぐつく。じゃ』 「もうすぐつくって」 「どうだか」とつぶやく茉理。  そこへベルが鳴ってドアが開いて、久住直樹が入ってきた。 「いらっしゃいませ、なおくん」 「いらっしゃいませ、遅いよ直樹」とにらみつける茉理。 「すまんすまん。実は県外まで出張でね。さっき帰りついたんだ」  直樹は蓮美市のささやかな会社に勤めている。お得意先がぜんこくに散らばっている ため、遠くへの出張も時々ある。 「それじゃしかたないね、なおくん」 「まあそういうことだ。さっそくだけどカルボナーラ」 「はい、すぐできるから待っててなおくん」  保奈美はカルボナーラを作り始める。 「茉理、店のほうはどうだった」 「今日はまあまあかな。変に絡む客もいなかったし、客の入りも普通だったし」 「変な客がいても茉理ならトレイでばこんとやるだけだからな」 「直樹、あんたねえ」 「まあまあ茉理ちゃん。信頼して安心してるってことでしょ、直樹」 「まあそういうことだな」 「そっか。ならいいけど」  直樹がカルボナーラを食べおわったところで午後9時になった。  ほなみんカフェは午前11時から午後9時の営業である。 「本日は閉店でございます。ご利用ありがとうございました」  茉理が直樹の食べた皿を片づける。 「それじゃわたしはこれで帰るから。おやすみなさい」  美琴はそういって店を出て行く。 「ありがとうございました」と茉理。 「おやすみ、美琴」と保奈美。 「おやすみ」と直樹。  その後、直樹は水を飲みながら、保奈美と茉理がクローズの作業をしているのを ながめていた。  ……実は、直樹はこの店に深く関っている。  この店のコーヒー豆は直樹のアドバイスが参考にされている。  料理全般については茉理や保奈美のほうが無論詳しいのだが、コーヒー豆だけは直樹 の方が詳しかったのだ。どうして詳しいのかというと、蓮美台学園の3年間保健室に入 り浸りだったために、コーヒーについては詳しくなっていたらしい。  無論それだけではない。ほなみんカフェの新メニューの実験台というのも直樹の大切 な役目である。茉理も保奈美も、直樹/なおくんがたべられるものなら普通の人が食べ ても大丈夫だから、とか言っているようだが。  時にはとんでもなく変なものを食わされることもある。そんな時でもちゃんと残さず 食べてから却下するのが直樹の優しさであった。  店の戸締まりをして保奈美と茉理が出てきたのは9時30分だった。 「それじゃ、保奈美さんおやすみなさい」 「おやすみなさい、茉理ちゃん。また明日」  茉理は夜の道を進みはじめた。 「それじゃ帰りましょう、なおくん」 「ああ」  茉理とは逆の方向へと二人は歩きだした。  店の入り口にはこう書かれている。  COFFEE HOUSE ほなみんカフェ  営業時間 11:00〜21:00 火曜定休  TEL 555-4385 Fin. --------------------- 2004/4/23-4/28           あとがき  茉理が店を持ったらどうなるでしょうか。  「スナックまつり」は誰かがSSにすると思うので少しひねって喫茶店にしてみました とさ(笑)  店の名前がほなみんというのはちょっとあれですが、これならインパクト抜群で覚え てもらいやすいですし・・・ね。  とはいえほなみんが嫌がりそうなきもしますけど。 「わかってるんならどうしてこんな名前にするのよっっっ」  ・・・ほえほえ〜  ちひろちゃんについては、教師じゃなくて、あくまで「職員」という扱いです。  というかちひろちゃんのあの性格じゃ教師はさすがに・・・。  それから大学は・・・やっぱ農学部というかそういう系統でしょうねえ。  一応少し未来の話です。2012年頃のつもりで書いています。  ということでそれっぽくなにやらごちゃごちゃ書いてます。デビットカードについ ては、蓮美市ではあんまり普及していないということにしておきます。  私のすむ街みたいにスーパーでも商店でも家電店でもデビットカードがつかえる街 というのはまだまだ少ないようですし。  プリン・スペシャルは量より量というか、ボリューム・ディスカウントというか そういう商品です。結先生ならへっちゃらでしょう(笑)  情報コースについては、今後の学校経営のためにも学園の特色を出そうということで 個性化をはかった結果ということで。  蓮美台学園は建物自体新しいので太い回線が設置しやすいということで^^;  美琴の持っているハードディスク・レコーダーは、今のDVDではなくて、ブルーレイ かHD DVDのつもりです。  まあすっかりテレビ中毒になっている美琴さんの生活はテレビ中心で回っています ということで(笑)  保奈美にしてみれば、教師に戻りたいわけですが、喫茶店というのも楽しいので、 だんだん迷いが深まっていきます。  そうやって日々は過ぎていく・・・といったところでしょうか。 by BLUESTAR(A.D.2004/4/26)